マインドフル イン・ザ・ダーク 心に太陽を昇らせる~Chapter.4 『楽しみがあなたの身体を導く』

全部、そのときの自分を受け入れて、表現をする

石井:感情は貯めない。怒ったらワンって声出すし、悲しかったら泣くし。そこを普通はブロックかけがちじゃないですか。怒ったらダメとか、泣いたら弱いわたしみたいな。そうでなくて、全部、そのときの自分を受け入れて、表現をする。でもさっき言ったように、絶対的に戻ってくるところがあるから安心してできる。そのあとのフォローというか、なんでそうなったのか、自分で伝えることができる。相手を責めないでいられる。

それはNVC (Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション) でいう、自分にはこういうニーズがあって、それが何らかの要因によって、そうじゃないと感じたから悲しみとなったり、怒りとなったり不安になったりとか、感情が表現される。普通だと、誰か他の人のせいにしがちなんですけど、原因は全部自分の中にある。自分が悪いからではなくて、自分が大切したいものはこれなんだということが、すごくわかったので。

「ジョイ・エンライツ・ユア・ボディー」って。エンライツって、悟りです。楽しみがあなたの身体を導く、じゃないですけど。その感覚で生活をしているんだと思います。それに似て、最近はライクとラブの境目がどこにあるのか、自分でもよくわからなくなってきて。この人のこと好き、が、この「好き」って何の好きだろうって。

小笠原:いろんなフレーバーをつけられたものを感じてますよね。

ジャッジメントしないことで、バランスが取れるようになった

石井:女性として好きとか、先輩として好きとか、通り越してこの存在が好き、という感覚になってきているんじゃないかなって気がしています。そうならない人ももちろんいるんですけど。

小笠原:例えば、女性をより好みするときに、何で選ぶのかしら? この人に強く好かれたいと思うのはないんですか?

鮫島:それは今まで、視覚によって自動的により好みされていたものが、別の感覚によってあるということですよね?

小笠原:それはわれわれも、最初は見た目で選ぶけど、だんだん奥からじわじわ出てくるその人の魅力とか、いろんな評価をチャンネルを変えていっていると思うけど。今、ナニで、査定というか(笑)、選り好むパラメーターに何を使うのか。より好みという概念自体が違うのかな? 誰かを選ぶことって、何かの観点で差別化してそれでその人を選ぶことじゃないですか。

鮫島:なんで友だちになりたいと思うか、とかね。

小笠原:わたしたちも無意識でやっていて、けっして目でやっているわけではないんだろうけれど。それに、左右されているのって、実は深いところでは違う感覚で選んでいるのに、見た目が好みと思っている可能性もあるし。理由は後付けでね。

石井:使い古された言葉ですけど、フィーリング。会って、この人とは仲良くなれそうだなとか。昔からそこは敏感だったんですけど、この人は嘘をついているなとは、なんとなくわかるんですよね。よくも悪くも自分も嘘をつけないし、見えなくなってからさらに拍車がかかったんですけど。すごい実直な人の前だと、逆にその実直さが怖いというか、見抜かれているんじゃないかみたいな。それは言われたことがあって、石井君の前で話すのは怖いことがあるって。全部、見抜かれていそうで、嘘をつけないと。

でもそうやって言ってくれる人は信用できるんですよね。あとはリズム感。何か一緒に仕事するときに、どうあがいてもテンポが合わないぞって人がいる。何度か、話しあいをしてきたけど、お互いにとってそれを合わせることは幸せなことではないと気づくことがあって。そういう人とは、お互いの心地よさのためにも、スパッといったほうが楽というのは、できるようになったかな。

鮫島:リズム感ってわかります。いま石井さんに言われて、「あれはリズム感だったんだ」あらためて腑に落ちました。

石井:リズムが違っても、ポリリズムみたいに、違うリズムでも調和が取れていればきれいになるじゃないですか。必ずしも同じテンポ、リズムに合わせる必要はなくて。ただそれがポリリズムにもならずに、不協和音になってしまう関係は、よくも悪くも、ぼくの周りにはない。もしかしたら無意識に排除したり、そこに加わらないようにしているのかもしれないけど。

逆に言うと、相手がどんな人でも、昔だったら「嫌だこの人」となるところを、まずは入ってみて、調和できるかなって。好奇心みたいな感じなんですけどね。入ってみて、周りはそういうふうに言っているけど、ぜんぜんそんなことないと気づくこともある。ジャッジメントしないことで、バランスが取れるようになったのかもしれません。ジャッジメントをすると、心のバランスが崩れるじゃないですか。そこが傾いても、ちゃんと戻れるというか。

一目惚れって、もしかしたら目じゃないのかもしれない

小笠原:今の話を聞いているうちに、フィーリングという言葉の意味付けというか、フィーリングという言葉が持っていたフレーバーが激変しましたね。「フィーリングが大事」って昔からよく言われる言葉ですけれど。実はフィーリングが先にあって、あとから理屈づけしていていることが多いんじゃないかと思うんです。フィーリングで感じていることと、あとから知った2次情報でジャッジがズレることによる葛藤って、実はすごくあるんじゃないかと思います。

石井:一目惚れって、もしかしたら目じゃないのかもしれないですね。

小笠原:鼻?(笑)

鮫島:嗅覚はありますよね。

小笠原:そういういろいろを含んだ総合的なフィーリング。

葦江:フィーリングにも1次フィーリング、2次フィーリングみたいなのがあって。最初に入ってくるフィーリングに対する2次的な感覚に重きを置きすぎると、自分の感情のコントロールばかりうまくなってしまうのかも。

石井:ダイアログの暗闇で出会った人で、結婚した人いるんだよね? お客さんどうしで。きっと暗闇の中で、視覚でないものに惹かれたのかも。

小笠原:つり橋効果的なやつもあるかも(笑)? すごい高揚したもの。非日常。その結婚いいな。

葦江:声の中の本質って、暗闇ですごく見えますね。

鮫島:今まで石井さんが、お子さんや奥さんと暮らされて、見える状態で暮らされていた彼ら・彼女らというのと、見えなくなってまた出会い直した時に再認識したことってありますか? ああこんな声してたんだなとか、触った感じで、彼女はこんな身体だったんだな、みたいなことで。

石井:子どもの成長は、わりと身体で感じる部分のことが多いから。特に下の子は、生まれて3か月でぼくが見えなくなったので。成長の過程を目でありありと見てないんですよね。触った感じとか、昨日までしゃべってなかったのが、急にしゃべるようになったなとか、急にこれをやりだしたなというのは、見た目で「かわいいね」というのではないところで感じているのかな。

小笠原:見えなくなっていちばん嫌だったことって何ですか?

石井:(即答で)本が読めなくなったこと! そこだけは本当に勘弁してくれと思いました。とにかく本を読んで生活をしていたので。

小笠原:それがそんなに即答の1位なんですね。

鮫島:かわいい子が見られなくなったということより(笑)?

石井:一人でいてもあまり孤独を感じるタイプではなかったので。本があれば。

同じ本でも違う人が読んだら、ぜんぜん違うものになる世界

鮫島:音声で今、自動で読んでくれるけど、別物ですものね。

石井:オーディオブックも、人が声で読むんですよね。何かひとつのフィルターが通って入ってくるものに対して、すごい抵抗感があって。ただ、見えなくなってから、一流の方の朗読にいちばん最初に触れたんですよ。岸田今日子さんが読んだ『銀河鉄道の夜』。これはまた別物だと感じました。そのあとに、この間、お亡くなりになった市原悦子さんの『風の又三郎』を聞いたりとか。あとは落語を今までぜんぜん聞いてなかったんですけど、聞くようになったりとか。言葉、音声。今まで視覚で認識していたものを、音にしたときの、リズム感とか、声質とか。同じ本でも違う人が読んだら、ぜんぜん違うものになる世界なんだなというのは、見えなくなってから感じたので。少しずつ、耳で本を読んでいこうかなと。

鮫島:点字で読むのも、きっとまた違うんですよね?

石井:僕、点字はぜんぜんやってないのでわからないですが。

鮫島:触って物語を追うのとは、また別体験ですよね。

小笠原:アクセスする情報空間が違うんだ。

葦江:ちなみにわたしがやっている音声の練習は、声を出さない。もちろん音声を出したうえで、その音声を強めていって、その強まったものを運動エネルギーに変えてしまうということをやってるんです。例えば、「あー」という音があったとします。その「あー」を心臓から、この裏をこういうふうに通して、ここから出す。もし触ってなかったとしたら、無音で、これで「あー」が出てるんですけど。見えないですよねという話になるので、途方に暮れてしまう。

何が変わるかというと、空間の波動が変わる。もちろん見える人にとっては、何かダンス的なものをやっている。昔のファラオとか、今の天皇陛下もそうだと思うんですけど、ブレッシングという、手をやっほーみたいにやるんですけど。これは波動を起こしいるらしいです。聴こえてないんだけど、自分の支配の届く限りのところまで、その支配力を届けているみたいなことを、どうやら声の力でやっているらしいんですけど。

例えば、内的なトークってぜんぜん声に出してないですよね。マインドで出している言葉と、ハートで出している言葉。大好きという感情って、言葉にはなってなくても、発しているじゃないですか。ああいうのって、声に出てなくても、雰囲気でかなりわかります。例えばその人が、マインドでいろいろやっているな、ジャッジしているなというのと、石井さん大好きと思っているのと、相当違って捉えられると思いますか? どんなふうに、人の思念や想念が入ってますか? 思念がマインドで、想念がハートだとしたら、どんなふうに変わっているのかな? わたしがさっき話したのは、純粋は声の響きの波動というとこなんですけど。それが止まった状態で、人は何を感じているのかなと、今まで考えたこともなくて。

石井:それって言葉がなくても、一緒にいて居心地がいいということかもしれないですね。さきほど、ダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇から出てきて、感想をみんなで共有したじゃないですか。あの時間は、盛り上がるときもあるけれど、時に沈黙したくなったりもするんですよね。その沈黙が何よりも雄弁にそのときの感想を語っている。それってたぶんハートから来ている感想のシェアだと思うんですよね。

葦江:たしかに心地よい沈黙ってありましたよね。みんなで座っているんだけど、同じところにいるな、みたいな感じは。

小笠原:映画は観えないですよね?

石井:テレビは、このくらいの(手を大きく広げる)画面のテレビにものすごい近づいて、なんとなくわかる感じ。

葦江:そこは残念感はない?

石井:好きだったので、エンターテインメントがひとつ減ったなというのはあるんですけど。逆に落語とか聞くようになったら、暗闇の中と同じく、語りだけでこんだけイメージが作れるんだなとか。

ぜんぜん関係ない話をしていいですか? このくらいの距離で、家でテレビをつけたら、ふだんだったら顔がぜんぜん見えない、認識できないのに、これ堤真一って? そうだったらしくて、堤真一すごいって思いました(笑)。声もなくて、画面にパッと映ったのが。うちの妻曰く、堤真一がすごいんだって。

小笠原:どこの情報空間からアクセスしてきたんだろう(笑)?

石井:ぼんやりと顔を判別できない、シルエットの存在だけで、この見えない俺が、画面上から伝わってくる堤真一がすごいって。なんの番組かもわからず、つけた瞬間に、堤真一だって。

小笠原:いろんな人を写したいですね。ほかに誰がわかるのか(笑)。

石井健介


1979年生まれ セラピスト
アパレル業界を経て、エコロジカルでサステナブルな仕事へとシフト。2012年よりクラニアルセイクラルとマインドフルネス瞑想を取り入れたThe Calmというオリジナルセラピーを始める。同時進行してフリーランスの企画・営業・広報として働き始める。
2016年の4月のある朝、目を覚ますと突然視力が失われていた、という衝撃的な体験をしたが、日々をマインドフルにいき、生来の風のような性格も相まって周囲が驚くくらいあっけらかんと過ごしている。

葦江祝里(あしえ・のり)
ホリスティック・ウェブ代表
米国IBA認定ボディートーク上級施術士
Adv.CBP

「わたしは言葉を書く人間ではなく、コトバの表現形式としての人体であろう」と、人間探求の旅に漕ぎ出した。

学生時代より東洋と西洋の融合に興味を持ち続け、歴史、宗教、神話、中国語を学んだ。その後、出版とIT業の実績、自身の病気回復の経験を生かし、2014年、セラピストに転身。心と体、生活環境、対人関係、仕事や表現など、幅広い領域からのボディートーク療法を提供している。2016年はホリスティク・ウェブの名義で各種ワークショップを開催。
施術のかたわら、オイリュトミーシューレ天使館に在学中。
生体のあらゆるリズムと循環、その知恵を秘めた言霊学に魅せられ、今後の舞台表現、戯曲表現の核とすべく模索している。

鮫島未央

米国IBA認定ボディートーク施術士

「人にとって本当の幸福とはなにか?」という疑問が物心ついた時からあり、心理・哲学・人智学・精神世界・ボディーワークなどあらゆる分野を学んできました。それでも「うまくいく人とそうでない人」が生まれてしまう不全感をどこかに感じていましたが、ボディートークに出会い、その効果を自分自身で体感し「ここにすべてがある!やっと出会た!」と感じました。自然に心身を回復し、本来のその人そのものを輝かせてくれるボディートークを、一人でも多くの方に届けたいと思う日々です。プライベートでは二児の母。好きな食べ物は生ハムと牡蠣。
http://samejimamio.com