現実の光を遮断されて、逆に感覚の力は100倍増し
石井:自分の中に太陽をつくるって、僕もそれでした。光が見えないなら、自分が光ればいいや、みたいな。そうしないと、周りの人が暗くなるんですよね。僕がずっと外に出たくないとか言っていると、自分が本当に好きな人たちが幸せそうじゃないのに気づいたんです。まずは家族、娘だったんですけどね。僕の友人で、似顔絵を描いているアーティストがいて。この前、パリでも、ルーヴルでも展示をやってた笑達(しょうたつ)君という人に描いてもらった家族のポートレートが自宅のリビングに飾ってあったんです。退院したあと、家の中で、僕は本当に神経がとがっていて、ずっと眉間にしわが寄って、緊張しっぱなしというか、ずっとイライラしている状況。すぐ泣き出すし。あるとき、僕が寝室に行ったら、リビングから当時3歳だった娘が、その似顔絵を指さして、「わたし、あのパパがいい。あのパパに戻ってほしい」って。その似顔絵では僕、すごい笑ってるんですよね。何やってるんだろう、って。そこから、もうこれは自分云々ではなくて、自分が誰かを照らせるくらい光っていれば、目が見えなくなっても関係ないんじゃないかなと思って。支えてくれた方々も、小松さん(小松ゆり子さん/ボディーワーカー・Magellanライター)を筆頭にたくさんいらしたので、このあとは、その人たちに恩返しする人生にしようと思って。単純に言うと何も考えてないんですけどね。
小笠原:でも考えすぎてるし、見過ぎてるんだろうなと。
石井:シンプルになりましたね。
小笠原:なんかそのへん、すごく聞きたい話があるんですが、とりあえず、さっきの体験に戻ると、1時間くらいの体験でしたか? どういう体験だったのか話したい。
石井:僕は真っ暗闇の中に入ったら、みなさんと近い状況なんですね。今はかすかに見える視覚を使って生活をしているときもあるので。ただ、ハイブリッドというのかな。目を使わないで動いていることもあるので、真っ暗闇になったからといって、ものすごく困るかというとそうでもない。テーブルの上の何かを探るとか、例えば飲み物を注いだりするには、あまり不便はない。それってふだんの生活とそんなに変わらないので。だから、ふたつの世界を行き来しているような感じはします。
葦江:わたしは、ボディートークの仕事のほかに、オイリュトミーというダンスをやっています。2019年の春まで四年間、オイリュトミー学校の本科生として学んできました。さまざまな身体技法があり、例えば「自分で垂直を創る」訓練があります。宇宙の無重力空間では、私たちの体は浮いてしまう。そこで意識的に重力の垂直や体の重心を感じられるかどうか。重力や重心を意識するのは、ボディーワークをやっている人には当たり前かもしれないけど、一般的にはそんなことをいちいち意識しないでしょう。当たり前にある空間に立つのではなく、まず自分で完全な垂直を創る。完全な水平を創る。完全な球を創る。そこに方向を生み出し、100%意識的に歩く。歩行禅に似てますね。空間も身体も意識された場で、感覚を動きに変えていきます。これがオイリュトミー学校での基礎練習です。感覚は、例えば視覚であれば、見えているものや感じたことを感情的に表現するのではなく、「見る」いう知覚の力、輝きをとらえ、輝きを発する目の力そのものを運動性に変換するという不思議なことをやります。ただし暗闇ではなく明るいところで。
石井:じゃあ今日、ダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇の中に入ってみて、その感覚って?
葦江:現実の光を遮断されて、逆に感覚の力は100倍増しくらいに感じました。いつもやっているよう垂直と水平と球をつくる感覚を思い出し、それを足の裏で感じている。脳から一番遠い足の裏の感覚に入ると、全身が活性化します。和葉さんがハッピージョイで踊ってたという感じで、わたしはずっと太極拳をしてました。ぐるぐると。ただし足はやっぱり怖いので、ちょっと及び腰になっている自分も楽しみつつ。すごく、ひとつひとつが鮮烈でしたね。全部発見しなおすという感じで。
世界を体験していると思っても、それを受け取っている自分の感覚器の感覚を感じているだけ
小笠原:わたしはもうちょっと入っていたかったです! 刻々と感覚が変わっていく・・・。動いているときはやっぱり怖いんだけど、石井さんが見えなくなった時と何が決定的に違うかというと、期限があるし、安全が確保されている中だから、本当に純粋にエンタメなんですよね。あとでみんなで答え合わせすることもできるし、完全にエンタメとして暗闇を経験していた。ドキドキ、ジェットコースターに乗っているときのような楽しさみたいなのもあった。
意識を集中させて暗闇を歩いてみたとき、、本当に漆黒の宇宙にひとりみたいな感じになって、なんていうのかな、これが生きているんだという感覚がしたんですよ。今までは、視覚という目は見えていたけど、結局生きているとは(笑)、暗闇で何も見えず踊っているのと一緒だという感覚がして。見えていないなかで探ってそれを楽しんでいる感じが、生きているとはこういうことなんだ!という軽い悟りみたいな体験でした。
五感を感じるし、自分が動いているということを感じるし、結局人生を通して経験しているのって、これだけなんだ、と。私たちが感じていることって、最終的には「体感」じゃないですか。幸せだろうが、喜びだろうが、悲しいという感覚だろうが。それを名付ける言葉がいろいろあるけれど最終的には感じているのは体感覚。世界を体験していると思っても、それを受け取っている自分の感覚器の感覚を感じているだけだから。何だ人生って結局これだったんだというのが腑に落ちて、わたしはめちゃめちゃ楽しかったです。
葦江:感覚が濃くなった感じはすごくわかる。凝縮されていく。
石井:見えなくなってから、ほかの感覚がすごく研ぎ澄まされたんじゃないかとか、聞かれるんですよ。冗談で、オーラとか見えるようになったとか、3m先で落ちた小銭の種類が聞き分けられるとかいうと、みんなだいたい、本当にそうなんだね って信じたりするんです(笑)。ただ、僕の場合は冗談だけど、暗闇を案内するアテンドスタッフの中には、足音で誰かがわかるという人もいたりする。ミュージシャンとか声楽家とか多くて、音楽的な才能に長けている人がわりといるんですよ、ダイアログのアテンドの人は。だから研ぎ澄まされたというのは、そういうほかの感覚器が、視覚が閉ざされたことによって、ぐっと上がるというのはあるのかもしれないですよね。
鮫島:その音楽に長けている人たちというのは、もともと生まれつきに見えないのか、あとから見えなくなった人もいると思うんですけど、そもそもずっと音楽をやっていたのですか? それとも見えなくなってから音楽を始めたのかな?
石井:両方です。音大を出ている人たちもけっこういるので。
自動的に柔らかく世界からの情報を捉える
小笠原:今、聞いて思いついたことをランダムに言うと、特に(ボディーワークの個人セッションを提供している)セッションルームで思うことで、目の使い方って、世界との繋がり方なんですよね、その人にとって。ソマティック・エクスペリエンス®という体感・身体性を使ったトラウマ療法をやってるんですが、目を閉じているときはすごく柔らかくて、呼吸が深くて、リラックスして、静かに自分の内側の世界を味わっているんだけど、目を開けてくださいとなった瞬間に、「見る」「情報を取りに行く」といういつもの社会的なモードの自分の世界にシャキーン!と切り替えてしまって、能動的な目の使い方になる。オンかオフの二極という感じになるんですよね。
だから、その目を閉じている時の「オフモード」と、セッションルームに入ってこられる前の「オンモード」の間のバリエーションを増やすということが、がすごく価値あることだと思っているんですね。目を開ける瞬間とか、セッションが終わってから部屋を出ていくまでの間の時間ですね。五感を使って私たちは世界と繋がっているんだけど、目の使い方ってそこにすごく影響が大きいです。光が入ってくるのを待っているというか、自動的に柔らかく世界からの情報を捉えるという、柔らかいサイドで自分を使うのと、ギラギラした目で情報を取りに行くというのとでは、同じ見えているのでも見ている自分の緊張感と自然さが全然違いますから。
トラウマ療法をやっていると、自分のいる場所を確かめる定位反応というのがあるけど、周りを見る見方が、知らない世界に旅行に行った時のような好奇心の、探求的なキラキラした目で定位して視覚を使っていく探究的なキョロキョロと、ここ大丈夫なのかな・・・、安全なのかな・・・というふうに危険をアセスメントするためのキョロキョロって、ぜんぜん種類が違うんですよね。目が見えていると、目の情報をすごく使うから、見えていること、見えていないことって、世界との繋がり方が違うんじゃないか、どんな繋がり方をしているんだろうっていうのが興味があるところです。あるいは見えていない人が音楽の才能に長けているっていうのは、音を通したコミュニケーションで、音で世界と繋がるということをしているのかなと、そんなふうに思いました。
石井:アテンドスタッフと話をしていると、見えないからって真っ暗じゃないんだよって、よく言うんですよ。その人が持っている、それこそ光、視覚で捉える光ではなくて、どういうふうに捉えているかは人次第なんですけど。それから、色を感じたりするともいうんですね。中途で視力を無くした人は色というものがどういうものかわかっているし、最初から見えていないアテンドも、色というものの概念はあるらしいんです。だから、実は彩りのある世界なんだ、と。視覚障害、目が見えない=真っ暗とイメージしがちですけど、そんなことはないというのが、自分の実感としてもあるし、話を聞いていてやっぱりそうなんだなと。
小笠原:それは1時間の体験でも感じましたよね。逆に視覚によって知覚を制限されちゃっていて、見えているものに対するリアリティを置きすぎているのだと思いました。見えないときの感覚の広がり方ってすごかったですもん。
石井:暗闇で飲んだ飲み物もそうですよね。同じ炭酸を飲んだのに人によってイメージする飲み物が違って、これって見えないからだまされたのか。だまされたというか、思い込みがね。例えば、女性を見た時、超かわいいって、男って単純だからそこから入るじゃないですか。
小笠原:女性もそうですよ(笑)。
鮫島:どうかなぁ。男の人の異性を視覚でキャッチする情報量と、視覚だけでなくて、女性が異性をキャッチするのって、何か差はあるんじゃないかなと思いますけど。
視覚的な要素はいっさいはがされた上で出会う
石井:フリーランスのときに、スタバとかで仕事をしてるじゃないですか。電源席って大きいテーブルで、前にかわいい子が座ると、仕事に集中できないんですよ。Facebookとかに、すごいかわいい子が目の前にいてぜんぜん仕事が手につきませんとか書いてるわけですよ。それがないのは、そこから解放された、見た目だけのかわいさとか、表面的なかわいさといったら変ですけど、そこじゃないところで人の美しさとか、男女関係なく、それはひとつ、ファッションをやっていたし、見た目重視で生きてきた自分にとってはすごい新鮮。
鮫島:わたし、その話をすごい聞きたかった(笑)。醜形恐怖症だったことがあって。自分の顔がものすごく醜いんじゃないかと思って、外に出られない時期があったんですよ。中学2年から3年くらいの思春期の時。そのときは、親は真剣にとりあってくれなかったんですけれど。当時は軽い摂食障害もあったので、ニキビとか、前髪切りすぎちゃったとか、自分の許容範囲以上に太ったりとかしたときに引きこもることになった記憶を思い出したんですよ、今日、石井さんにお会いするんだなと思ったときに。
それで、「ああ石井さんはわたしの顔形が見えないんだ!」と思ったときに、すごくハッピーになったんです。わたしの見た目じゃないところで、出会ってくれる人に始めて会えるんだって思ったときに、お友だちになりたいと、すごく思いましたね。わたしは見た目と、どう見られるかということに苦しんできたので。そこから自由になっている人といると、わたしも自由。
石井:ダイアログの暗闇に入って、お客さんの感想でよくあるのが、やっぱり人に見られていない心地よさ。暗闇の中って、声で性別がわかることは多いですけど、年齢とか見た目とか、言語を別とすれば国籍、肌の色とか、いっさい関係なく、すごいフラットな状況になるので、視覚的な要素はいっさいはがされた上で出会う。
葦江:ボディーワークをやっていると、どこでその人の特徴量をとるかに注意が向きます。特徴量というのは、その人の、「らしさ」というのかな。骨格なのか皮膚の状態なのかメンタルなのか、目的によっても違う。
例えば醜形恐怖や皮膚の火傷跡や地の底にいるような自己無力感にさいなまれている人や。それを外見や社会的評価にとらわれずワークに必要な情報として観察する習性はついています。でも、外見やステータスで評価される世界ともバランスを取らなければいけないのも現実。石井さんのいうハイブリッド、和葉さんのグラデーションという言葉は、わたしの中ではバランスというキーワードで入ってきています。
小笠原:たしかに。外の世界に向かう自分と、内側にいる自分とのバランスですよね。ボディーワークとかヨガとか身体の世界に来て、人生がすごく変わったんですが、それは「身体の中に生きている自分」と出会えたからなんですよね。わたしも身体が悪くて、会社を休んだり辞めたりしたときに、アトピーとかアレルギーで血だらけになっているのに、ストレスを抱えて真面目すぎるからだよと言われても、別にストレス感じてませんけど?って思っていた(笑)。
自己価値というものが外からの評価と完全に一体化してたから、期待以上の成果を出し続けてナンボというアイデンティティがあった。ヨガをやったらなぜか何も期待してなかったのに、アトピーがぐんぐんよくなっていくのがすごく驚きで。ヨガをやっていてある時、「はっ・・・! わたしがいた!」という感覚が来たんですよね。身体の隅々までぴしっと線が通って、わたしが全身の中にいた!という感覚がして、そこから自分らしさの感覚というものが目覚めました。何に興味を惹かれるとか、会社にいたときは実はストレスを貯めてたんだあ、なんて言うことが分かり始めました。感覚と結びついたときに、そこから自分の人生が始まったと今は思います。
石井健介
1979年生まれ セラピスト
アパレル業界を経て、エコロジカルでサステナブルな仕事へとシフト。2012年よりクラニアルセイクラルとマインドフルネス瞑想を取り入れたThe Calmというオリジナルセラピーを始める。同時進行してフリーランスの企画・営業・広報として働き始める。
2016年の4月のある朝、目を覚ますと突然視力が失われていた、という衝撃的な体験をしたが、日々をマインドフルにいき、生来の風のような性格も相まって周囲が驚くくらいあっけらかんと過ごしている。
葦江祝里(あしえ・のり)
ホリスティック・ウェブ代表
米国IBA認定ボディートーク上級施術士
Adv.CBP
「わたしは言葉を書く人間ではなく、コトバの表現形式としての人体であろう」と、人間探求の旅に漕ぎ出した。
学生時代より東洋と西洋の融合に興味を持ち続け、歴史、宗教、神話、中国語を学んだ。その後、出版とIT業の実績、自身の病気回復の経験を生かし、2014年、セラピストに転身。心と体、生活環境、対人関係、仕事や表現など、幅広い領域からのボディートーク療法を提供している。2016年はホリスティク・ウェブの名義で各種ワークショップを開催。
施術のかたわら、オイリュトミーシューレ天使館に在学中。
生体のあらゆるリズムと循環、その知恵を秘めた言霊学に魅せられ、今後の舞台表現、戯曲表現の核とすべく模索している。
鮫島未央
米国IBA認定ボディートーク施術士
「人にとって本当の幸福とはなにか?」という疑問が物心ついた時からあり、心理・哲学・人智学・精神世界・ボディーワークなどあらゆる分野を学んできました。それでも「うまくいく人とそうでない人」が生まれてしまう不全感をどこかに感じていましたが、ボディートークに出会い、その効果を自分自身で体感し「ここにすべてがある!やっと出会た!」と感じました。自然に心身を回復し、本来のその人そのものを輝かせてくれるボディートークを、一人でも多くの方に届けたいと思う日々です。プライベートでは二児の母。好きな食べ物は生ハムと牡蠣。
http://samejimamio.com